疑問83 オビの作られ方
本には「擬似オビ」というものがあります。例えば、「直前の技術」は擬似オビです。デザイン上、オビのように見せているだけで、実際は表紙に印刷されています。
擬似ではないオビは、表紙に巻く普通のオビです。オビの本来の役割は1つと言っていいでしょう。それは、書店でウロウロする人が手に取ることを促すことです。ですから、オビに本の特長が書かれていようといまいと、とにかく手に取ることを促すことができれば、役割としては成功です。オビにはオモテと裏があり、当然、オモテが裏より重要です。
新刊2冊のオモテのオビに入れる言葉を編集者たちが必死に考えました。ところが、営業部が却下したそうです。そこで、仕方なく裏オビに使われました。結果として、裏はこうなりました。
「しまった。。。」と「そうだったのか!」が書店に並ぶと、なんとなく気になるのではないでしょうか。半年以上も本と向かい合い、中身を知り尽くしている編集者が考えた言葉です。それが裏に入りました。では、代わりにオモテに入った言葉は、より優れているのでしょうか。まず、「Part 5&6」を例に検証します。
Part 5“短文穴埋め問題”と“Part 6長文穴埋め問題”は20分でかけぬけろ
この言葉が、アマゾンに表示されている画像のオビに入っています。実際は、その画像自体が間違っているので、いずれ更新されるでしょうが。
Part 5“短文穴埋め問題”と“Part 6長文穴埋め問題”は20分でかけぬけろ
この言葉の価値は非常に小さいと個人的には判断します。なぜなら、主語である「Part 5“短文穴埋め問題”と“Part 6長文穴埋め問題”」は、文字数が多い割に、読んだ人が何の感情も持たないと予測できるからです。「短文穴埋め問題」と「長文穴埋め問題」は、メッセージではなく、単なる記号みたいなものですから、オビの役割を考えると、必要性の低い言葉です。
それに続く「20分でかけぬけろ」は、かろうじて「メッセージ」になっていますが、書店をウロウロする読み手にとっては、それが初心者であれ上級者であれ、特別な響きを持たないでしょう。なぜなら、そのメッセージは他の本にも書かれていますし、書かれていることを知らない人にとっては「ふ〜ん」と思う効果はあっても、それ以上の感情を持つことはないと思われるからです。よって、裏オビに比べて優れているとは思えません。次に、「Part 7」を見ます。
Part 7“読解問題”は問題文を「できるだけ読んで解く」!
この言葉は、一定の受験経験値や対策経験値を持つ読み手にとっては意味を持つはずです。なぜなら、その人たちは「できるだけ読まずに解く」というメッセージに慣れているからです。つまり、普段考えていることとは違うことを突きつけるオビになっています。裏オビに入った言葉と比べて、より優れているかどうかは判断しにくいですが、少なくともオビの役割を果たしそうな気がします。
オビを作るのは誰なのか。どうやって決定されるのか。それは版元によって違います。それぞれの環境における慣習がありますが、書店を訪れた方に「手に取っていただく」ことがオビの最大の役割であることには変わりません。
書店をウロウロする際には、オビに注目してみると広告の勉強になります。「このオビに書かれている言葉は本当だろうか」とか「なぜ、ほかの言葉ではなく、この言葉が使われているのだろうか」などと考えるだけでも楽しめるかも知れません。オビの制作には、編集者や営業部の思惑が詰まっています。著者の思惑が詰まっていることはめったにありませんが。
ちなみに、タイトルにTOEICという文字が入る書籍の表紙は、ETSの審査を受ける必要がありますので、版元が自由に命名することはできません。TOEICを単独で使うことはできないので、「TOEICテスト」や「TOEIC TEST」という表記になりますし、フォントやサイズの制限もあります。なぜか、オビは審査対象外です。
擬似ではないオビは、表紙に巻く普通のオビです。オビの本来の役割は1つと言っていいでしょう。それは、書店でウロウロする人が手に取ることを促すことです。ですから、オビに本の特長が書かれていようといまいと、とにかく手に取ることを促すことができれば、役割としては成功です。オビにはオモテと裏があり、当然、オモテが裏より重要です。
新刊2冊のオモテのオビに入れる言葉を編集者たちが必死に考えました。ところが、営業部が却下したそうです。そこで、仕方なく裏オビに使われました。結果として、裏はこうなりました。
「しまった。。。」と「そうだったのか!」が書店に並ぶと、なんとなく気になるのではないでしょうか。半年以上も本と向かい合い、中身を知り尽くしている編集者が考えた言葉です。それが裏に入りました。では、代わりにオモテに入った言葉は、より優れているのでしょうか。まず、「Part 5&6」を例に検証します。
Part 5“短文穴埋め問題”と“Part 6長文穴埋め問題”は20分でかけぬけろ
この言葉が、アマゾンに表示されている画像のオビに入っています。実際は、その画像自体が間違っているので、いずれ更新されるでしょうが。
Part 5“短文穴埋め問題”と“Part 6長文穴埋め問題”は20分でかけぬけろ
この言葉の価値は非常に小さいと個人的には判断します。なぜなら、主語である「Part 5“短文穴埋め問題”と“Part 6長文穴埋め問題”」は、文字数が多い割に、読んだ人が何の感情も持たないと予測できるからです。「短文穴埋め問題」と「長文穴埋め問題」は、メッセージではなく、単なる記号みたいなものですから、オビの役割を考えると、必要性の低い言葉です。
それに続く「20分でかけぬけろ」は、かろうじて「メッセージ」になっていますが、書店をウロウロする読み手にとっては、それが初心者であれ上級者であれ、特別な響きを持たないでしょう。なぜなら、そのメッセージは他の本にも書かれていますし、書かれていることを知らない人にとっては「ふ〜ん」と思う効果はあっても、それ以上の感情を持つことはないと思われるからです。よって、裏オビに比べて優れているとは思えません。次に、「Part 7」を見ます。
Part 7“読解問題”は問題文を「できるだけ読んで解く」!
この言葉は、一定の受験経験値や対策経験値を持つ読み手にとっては意味を持つはずです。なぜなら、その人たちは「できるだけ読まずに解く」というメッセージに慣れているからです。つまり、普段考えていることとは違うことを突きつけるオビになっています。裏オビに入った言葉と比べて、より優れているかどうかは判断しにくいですが、少なくともオビの役割を果たしそうな気がします。
オビを作るのは誰なのか。どうやって決定されるのか。それは版元によって違います。それぞれの環境における慣習がありますが、書店を訪れた方に「手に取っていただく」ことがオビの最大の役割であることには変わりません。
書店をウロウロする際には、オビに注目してみると広告の勉強になります。「このオビに書かれている言葉は本当だろうか」とか「なぜ、ほかの言葉ではなく、この言葉が使われているのだろうか」などと考えるだけでも楽しめるかも知れません。オビの制作には、編集者や営業部の思惑が詰まっています。著者の思惑が詰まっていることはめったにありませんが。
ちなみに、タイトルにTOEICという文字が入る書籍の表紙は、ETSの審査を受ける必要がありますので、版元が自由に命名することはできません。TOEICを単独で使うことはできないので、「TOEICテスト」や「TOEIC TEST」という表記になりますし、フォントやサイズの制限もあります。なぜか、オビは審査対象外です。
疑問80 単行本の発売日
「もうすぐ新刊が出ます」と人に話すと「発売日はいつですか」と聞かれることがあります。この質問に答えるのは非常に難しいです。発売日を定義するのは簡単ではないからです。
本の発売日とは、一般的には書店で買うことができる最も早い日でしょう。例えば月刊誌であれば毎月同じ日ですし、その本を見れば次号が何月何日発売なのか明記されているはずです。
ところが、単行本の場合はそれがいつなのか著者にも版元にも分かりません。便宜上、X月Y日と決められた日はあるのですが、実際、判明しているのは「取次納品日」です。取次とは印刷された本を全国の書店に配送する会社で、出版業界になくてはならない存在です。
その取次に本が入ると、おそらく早くて翌日に書店に入りますが、エリアによって差があります。たぶん、首都圏の方が早いです。また、書店に入っても、その日のうちに店頭で顧客が手に取る場所に置かれるとは限りません。よって、発売日がいつなのか断言することは不可能なのです。
本の発行日などが記載されているページは「奥付」と呼ばれます。初版の奥付に記載されている「発行日」は、発売日とは関係ありません。あえて言えば、実際の発売日から数日、または1週間から10日くらい先の日が印刷されています。印刷する前に原稿を確定するので、正確な発売日を書くことができないのは当然です。
本の発売日とは、一般的には書店で買うことができる最も早い日でしょう。例えば月刊誌であれば毎月同じ日ですし、その本を見れば次号が何月何日発売なのか明記されているはずです。
ところが、単行本の場合はそれがいつなのか著者にも版元にも分かりません。便宜上、X月Y日と決められた日はあるのですが、実際、判明しているのは「取次納品日」です。取次とは印刷された本を全国の書店に配送する会社で、出版業界になくてはならない存在です。
その取次に本が入ると、おそらく早くて翌日に書店に入りますが、エリアによって差があります。たぶん、首都圏の方が早いです。また、書店に入っても、その日のうちに店頭で顧客が手に取る場所に置かれるとは限りません。よって、発売日がいつなのか断言することは不可能なのです。
本の発行日などが記載されているページは「奥付」と呼ばれます。初版の奥付に記載されている「発行日」は、発売日とは関係ありません。あえて言えば、実際の発売日から数日、または1週間から10日くらい先の日が印刷されています。印刷する前に原稿を確定するので、正確な発売日を書くことができないのは当然です。
疑問79 対象レベルとは何か
たいていのTOEIC対策書には「対象」が記載されています。表紙か裏表紙に記載されているでしょう。本に関して、そもそも「対象」とは何か、という疑問があります。なぜなら、ボクの経験においては「対象」を決めるのは著者ではなく版元だからです。この「決める」は「裏表紙にどう表記するか」を決めるという意味です。
しかしながら、著者は執筆の段階で、すでに「対象」や「想定読者像」を頭の中に描いています。少なくともボクの経験では、企画成立時点で、対象について版元と「だいたい合意」していますので、勝手に異なる読者像を描くことはしません。模擬試験は例外ですが。
つまり、コンテンツを作る著者にとっての「対象」と、実際に表紙や裏表紙に記載される「対象」は一致しない場合があるということです。著者にとっては「対象が狭いほど読者像をイメージしやすい」一方で、版元にとっては「対象は広い方がいいはず」だからです。それにより、「対象とは何か」という疑問が生まれるのです。この差が生まれる理由は、はっきりしています。
それは、両者の立場の違いに起因します。
著者は、おそらく一般的に言っても個人的に言っても、執筆段階で読者像をイメージして、その人に貢献するように書く努力をします。ある程度の幅を持った読者像ができている場合もありますが「コア」な像もあるものです。「Aさん、Bさん、Cさんを対象として想定しているけど、Bさんこそがメインの読者像だ」のように。別の言い方をすれば、コアとなる読者像を想定せずに書くのは難しいことです。「何を書き、何を捨てるか」を判断しにくくなるからです。
一方で、おそらく多くの版元は「なるべく多くの人が対象となる」ように、対象を表記しようとします。理由は、多くの人を対象にしているように見せることが販売に貢献するだろう、という考え方があるからです。事実を反映した考え方だとはボクは思っていませんが、それが現実に存在する思考回路です。結果として、TOEIC対策書であれば「500点以上」とか「730点を目標にしている方」などのように、著者が想定していた「コア」な方より、保有スコアが低い方を含む数値が裏表紙に登場することがあります。
「人前で上手に話す技術」とか「サラリーマンで年収5000万円」みたいな本であれば、対象が「ビジネスマン全員」でも妥当だと思いますし、英語教師やアナウンサーになりたい大学生がそれらの本を買う可能性も大いにあります。そして、実際に有益な情報を得ることができる場合も多いでしょう。
でも、TOEICにはスコアという数字があり、「上下関係」もあります。300より400が、800より900がスコアとしては「上」であり、そして、ほぼすべての受験者は、スコアが「下から上に変化すること」を希望しているでしょう。よって、ある本の、表紙や裏表紙に記載される「対象」が「なるべく低いスコアから、なるべく高いスコアの間にいる人」になっていれば「多くの人に役立ちますよ」という、版元の意図が反映されているわけです。言い換えると、「多くの人に買って欲しい」という欲の表れです。欲を持つのは悪くないですが、対象レベルを幅広く表記するという手法が効果的かどうかは疑問です。
ボクの本を例にして「対象」のズレについて解説します。
『5日で攻略 新TOEICテスト730点!』では、執筆段階でのイメージ通りの表記になっています。「対象レベル」は「650点〜」です。『直前の技術』の「対象レベル」は「400点〜」と記載されています。これは「400点以上であれば、誰でも対象です」を意味するのでしょうが、執筆陣営は、そんなイメージは持っていませんでした。実際に405点の方が『直前の技術』を使えば、きっと理解できない部分や、使えない「技術」が多くて困ってしまうかも、と感じています。しかしながら、その人が英語が好きで努力家であれば、パートによっては非常に有益だと思いますし、英語力が伸びれば、例えば1年後に、別のパートもスイスイ理解できるようになるかも知れません。また、類書を使って技術をせっせと磨いたことのある、受験経験が豊富な600点のAさんと、大学1年生で、入学直後にTOEICのことを知らないままIPテストを受験して600点だったBさんを比べれば、「直前の技術」はBさんに大きく貢献し、Aさんにはあまり貢献しないだろうとも想像できます。「対象レベル」を保有スコアで表記することに無理があるわけです。『直前の技術』の場合は。
2010年夏に出版される本のデザインを入手したので「対象」を見ました。
この画像は「修正前」です。このまま刊行されるわけではありません。
「対象レベル」が「800点〜」となっています。著者3名は、現状で800点の人を想定しながら書いたわけではありません。「コアではない」どころか「想定外」です。この本の中身を世界中の誰よりも知っている、担当編集者に意見を聞いてみたところ、対象レベルは900点または850点以上だろうとおっしゃっていました。スコアで表現するならば、確かにその通りだと思います。しかしながら、著者や1人の編集者の考えだけで表記が決まるわけではないのが現実です。
その理由は、すでに述べたように「なるべく多くの人が対象となる」ように記載することが、販売に貢献するだろう、という考えが支配的だからです。この本に関する限りは間違った判断だと想像していますが、実際にどうなるかは現実を見てみないと分かりませんし、現実を見ても分析不可能でしょう。このように考えると、そもそも「対象とは何か」という疑問への答えは存在するかどうかすら怪しいです。何をもって、何を答えだと呼べるのでしょう。仮に、著者が考えることが答えだとするならば、こうなります。
リスニングセクション担当のボクが想定する読者像は2パターンです。
まず「すでに、900点や950点前後のスコアを数回取得したことのある方」で、990点を取得したい方です。あとは、「現状のスコアがどうであれ、いずれ990点を取ることを意識していて、英語学習に注力されている方」です。後者には「現状700点、英語学習は好き。TOEICに没頭するつもりはない」ような方も含まれます。なぜなら、英語自体の学習法についても多くのページを割いたからです。
このような方が「対象」です。いずれ、関連ページにも掲載します。
なお、上の画像では、目標レベルが「990点〜」となっています。「〜」がある理由は「1200点を取る力を養成して、990点を取る」が本のコンセプトだからです。
と思ったのですが、単なるミスだったようです。実際には削除されます。
残念です。
しかしながら、著者は執筆の段階で、すでに「対象」や「想定読者像」を頭の中に描いています。少なくともボクの経験では、企画成立時点で、対象について版元と「だいたい合意」していますので、勝手に異なる読者像を描くことはしません。模擬試験は例外ですが。
つまり、コンテンツを作る著者にとっての「対象」と、実際に表紙や裏表紙に記載される「対象」は一致しない場合があるということです。著者にとっては「対象が狭いほど読者像をイメージしやすい」一方で、版元にとっては「対象は広い方がいいはず」だからです。それにより、「対象とは何か」という疑問が生まれるのです。この差が生まれる理由は、はっきりしています。
それは、両者の立場の違いに起因します。
著者は、おそらく一般的に言っても個人的に言っても、執筆段階で読者像をイメージして、その人に貢献するように書く努力をします。ある程度の幅を持った読者像ができている場合もありますが「コア」な像もあるものです。「Aさん、Bさん、Cさんを対象として想定しているけど、Bさんこそがメインの読者像だ」のように。別の言い方をすれば、コアとなる読者像を想定せずに書くのは難しいことです。「何を書き、何を捨てるか」を判断しにくくなるからです。
一方で、おそらく多くの版元は「なるべく多くの人が対象となる」ように、対象を表記しようとします。理由は、多くの人を対象にしているように見せることが販売に貢献するだろう、という考え方があるからです。事実を反映した考え方だとはボクは思っていませんが、それが現実に存在する思考回路です。結果として、TOEIC対策書であれば「500点以上」とか「730点を目標にしている方」などのように、著者が想定していた「コア」な方より、保有スコアが低い方を含む数値が裏表紙に登場することがあります。
「人前で上手に話す技術」とか「サラリーマンで年収5000万円」みたいな本であれば、対象が「ビジネスマン全員」でも妥当だと思いますし、英語教師やアナウンサーになりたい大学生がそれらの本を買う可能性も大いにあります。そして、実際に有益な情報を得ることができる場合も多いでしょう。
でも、TOEICにはスコアという数字があり、「上下関係」もあります。300より400が、800より900がスコアとしては「上」であり、そして、ほぼすべての受験者は、スコアが「下から上に変化すること」を希望しているでしょう。よって、ある本の、表紙や裏表紙に記載される「対象」が「なるべく低いスコアから、なるべく高いスコアの間にいる人」になっていれば「多くの人に役立ちますよ」という、版元の意図が反映されているわけです。言い換えると、「多くの人に買って欲しい」という欲の表れです。欲を持つのは悪くないですが、対象レベルを幅広く表記するという手法が効果的かどうかは疑問です。
ボクの本を例にして「対象」のズレについて解説します。
『5日で攻略 新TOEICテスト730点!』では、執筆段階でのイメージ通りの表記になっています。「対象レベル」は「650点〜」です。『直前の技術』の「対象レベル」は「400点〜」と記載されています。これは「400点以上であれば、誰でも対象です」を意味するのでしょうが、執筆陣営は、そんなイメージは持っていませんでした。実際に405点の方が『直前の技術』を使えば、きっと理解できない部分や、使えない「技術」が多くて困ってしまうかも、と感じています。しかしながら、その人が英語が好きで努力家であれば、パートによっては非常に有益だと思いますし、英語力が伸びれば、例えば1年後に、別のパートもスイスイ理解できるようになるかも知れません。また、類書を使って技術をせっせと磨いたことのある、受験経験が豊富な600点のAさんと、大学1年生で、入学直後にTOEICのことを知らないままIPテストを受験して600点だったBさんを比べれば、「直前の技術」はBさんに大きく貢献し、Aさんにはあまり貢献しないだろうとも想像できます。「対象レベル」を保有スコアで表記することに無理があるわけです。『直前の技術』の場合は。
2010年夏に出版される本のデザインを入手したので「対象」を見ました。
この画像は「修正前」です。このまま刊行されるわけではありません。
「対象レベル」が「800点〜」となっています。著者3名は、現状で800点の人を想定しながら書いたわけではありません。「コアではない」どころか「想定外」です。この本の中身を世界中の誰よりも知っている、担当編集者に意見を聞いてみたところ、対象レベルは900点または850点以上だろうとおっしゃっていました。スコアで表現するならば、確かにその通りだと思います。しかしながら、著者や1人の編集者の考えだけで表記が決まるわけではないのが現実です。
その理由は、すでに述べたように「なるべく多くの人が対象となる」ように記載することが、販売に貢献するだろう、という考えが支配的だからです。この本に関する限りは間違った判断だと想像していますが、実際にどうなるかは現実を見てみないと分かりませんし、現実を見ても分析不可能でしょう。このように考えると、そもそも「対象とは何か」という疑問への答えは存在するかどうかすら怪しいです。何をもって、何を答えだと呼べるのでしょう。仮に、著者が考えることが答えだとするならば、こうなります。
リスニングセクション担当のボクが想定する読者像は2パターンです。
まず「すでに、900点や950点前後のスコアを数回取得したことのある方」で、990点を取得したい方です。あとは、「現状のスコアがどうであれ、いずれ990点を取ることを意識していて、英語学習に注力されている方」です。後者には「現状700点、英語学習は好き。TOEICに没頭するつもりはない」ような方も含まれます。なぜなら、英語自体の学習法についても多くのページを割いたからです。
このような方が「対象」です。いずれ、関連ページにも掲載します。
なお、上の画像では、目標レベルが「990点〜」となっています。「〜」がある理由は「1200点を取る力を養成して、990点を取る」が本のコンセプトだからです。
と思ったのですが、単なるミスだったようです。実際には削除されます。
残念です。
疑問78 10万部のインパクト
2006年12月に発売された「直前の技術」の11回目の増刷が決定し、2010年7月に第12刷が出ます。3年半を経て、発行部数が108,000部となります。
売上高を計算します。理由はありません。
定価が2,200円(税抜)なので、仮に108,000部すべてが売れた場合は、グロスで237,600,000円になります。実際は、流通コストが30パーセント以上ありそうですし、そもそも実売部数と発行部数は常に乖離しています。ですので、流通コストを35パーセント、実売部数を発行部数の70パーセントだと仮定します。
2,200円×108,000×0.65×0.7=108,108,000円
偶然、108が3回も登場していることに驚きます。
10万部が版元にもたらす売上は1億円であることが分かりました。これを1年で、しかも少ない印刷回数で実現できれば利益は大きいですが、実際は、そんな本はほとんど存在しません。
TOEICは人気のあるテストですので、比較的たくさん売れる傾向にありますが、本によって販売数は大きく異なります。ボクの本を例にすれば「直前の技術」が先頭を走っていますが、最後方を走っている本は、後ろすぎて見えません。アイルトン・セナとカタツムリくらい差があります。
売上高を計算します。理由はありません。
定価が2,200円(税抜)なので、仮に108,000部すべてが売れた場合は、グロスで237,600,000円になります。実際は、流通コストが30パーセント以上ありそうですし、そもそも実売部数と発行部数は常に乖離しています。ですので、流通コストを35パーセント、実売部数を発行部数の70パーセントだと仮定します。
2,200円×108,000×0.65×0.7=108,108,000円
偶然、108が3回も登場していることに驚きます。
10万部が版元にもたらす売上は1億円であることが分かりました。これを1年で、しかも少ない印刷回数で実現できれば利益は大きいですが、実際は、そんな本はほとんど存在しません。
今回の増刷では修正が1つあります。P.44の問題1です。2010年2月に指摘されるまで、ずっと気づきませんでした。おそらく多くの人は「そこにミスがある」と言われても気づかないと思います。それくらい小さいミスですが、ロバートとボクがそれに気づかされたときには、顔から火がでるような思いをしました。なぜなら、指導者向けのセミナーの中で「あるルール」を説明したのですが、その参加者から、その現場で指摘を受けたからです。ちょうど2月には第11刷が発行されるところでしたが修正は間に合いませんでした。思ったより早く増刷が決定したので、第12刷で修正されます。
TOEICは人気のあるテストですので、比較的たくさん売れる傾向にありますが、本によって販売数は大きく異なります。ボクの本を例にすれば「直前の技術」が先頭を走っていますが、最後方を走っている本は、後ろすぎて見えません。アイルトン・セナとカタツムリくらい差があります。
疑問77 タイトル決定プロセス
タイトル決定過程を知るには営業部の活動を知る必要があります。
小説は違うでしょうが、TOEIC対策本に関する限り、タイトルを決めるのは版元です。どの版元でも、おそらく営業部が決める権限を持っていると思われます。その背景には、タイトルを含め「表紙は売上を左右する大きな要素」という前提があります。正しいかどうか知りませんが、たぶんそうなのでしょう。売上に影響するということは、その責任を担う営業部が決定権を持つのは自然な考え方です。本当に最終的な判断は社長がする場合もあるかも知れませんが、直接的に大きな影響力を持つのは営業部のはずです。もちろん、会社の規模によって差はあります。編集者もデザイン制作や著者とのコミュニケーションを担当するので、タイトル決定には関与します。
自分が関与する本のコンテンツ部分と、その背景をよく知っている著者も、少し関与します。著者よりも本全体のことを、そしてほかの多くの本について知っている編集者も当然です。その編集者が話す相手である営業部。版元から本を買う取次店と、ユーザーに販売する書店は決定プロセスにはほとんど関係ありません。そして、本を購入するかどうかを決め、実際に使うユーザーがプロセスに関与することはめったにありませんが、間接的には営業部の動きに関係しています。
営業部が重視するのは広義ではユーザーですが、狭義では書店です。
営業部は、ユーザーの書店での行動を観察したり、紀伊國屋書店が提供しているオンライン情報など「結果として出る数値」を分析したりしています。店頭でユーザーに「これ買ってください」とは言いません。なぜなら、ユーザーの行動を左右する要素として大きいのは、書店での陳列だからです。もっとも、近年はインターネットの普及によって、それすらどれだけ正しいか疑問ですが、とは言え、陳列はユーザーにとっても書店にとっても無視できない要素であるはずです。ですから、版元の営業部の主な活動の1つは、まずは商品の配置(placement)を有利にすることです。
有利な商品配置の例は「メンチン」です(注意:清一色は六飜ですが喰い下がると五飜)。「面陳」の他に「面差し」「背陳」「背差し」など、いろんな配置があります。配置は売上に影響します。素晴らしい中身とタイトルを持つ本があり、ユーザーに有益で、見れば欲しくなる本だとしても、「背差し」になっていればユーザーが気づく確率が低くなります。100人のユーザーのうち、「面陳」されているAという本に気づく人が63人いても、「背差し」のBに気づく人は3人しかいないことも起きるでしょう。言い換えると、Aが目立つがために、Bが目立たないわけです。よって、すべて同じ方法で配置する書店はないでしょうから、なるべく自社の本が有利に置かれるよう、営業部は書店に働きかけます。
次に、配置だけでなくユーザーに本を手にしてもらうことも必要です。タイトルや表紙はそれに関係します。Bに気づいた3人全員が実際に手に取る可能性は限りなくゼロに近いですが、奇跡的に手にする人がいるとすれば背表紙が理由のはずです。背表紙にはタイトルが書かれています。
63人が気づくAを手にするのは何人でしょうか。まったく不明です。なぜなら、A以外にも、XやYやZも「面陳」されているからです。よって、Aを手にしてもらうには理由が必要ですから、唯一ユーザーが目にする表紙(表1と呼ばれます)がXやYやZのそれと同じくらい、またはそれ以上に魅力的である(特徴がある)必要があるのです。もちろん、それは「何らかの意味で目立つ」ことであり、ギラギラしているとかロバートの顔があることを指しているとは限りません。TOEIC関連書についてはETSが表紙を検閲しますので、制約条件が多いです。フォントやサイズなどがどの本も似ているのは、それが原因です。版元の本音は「TOEIC」という語を単独で使うことですが禁止されているため「TOEICテスト」などになっています。仮に63人のうち28人がAを手にしたとします。そこで表紙の役割はほぼ終了します。ほかの本と比較するユーザーは、様々な意味での「中身」を比較するはずですから。なお、中身は、実はBが最も優れている可能性も当然ありますが、残念なことに比較対象にすらならない可能性が高いです。
目の前にある本の中身をすぐに変えることはできませんから、営業部員が「ユーザーに本を手にしてもらう」ことを活動の軸にすることは不思議ではありません。本来は、営業部こそ中身に深く関与して「こういうものがあれば、XにもYにもZにも勝てるから作ってくれ」と編集部に持ちかけるのが理想的な流れですが、あまり現実はそうなっていないと思われます。
以上の背景があり、表紙デザインやタイトル、表紙に入れる文字を決める際に営業部が主導することになります。ユーザーの判断は販売数に現れますが、タイトルや表紙が実際にどの程度「中身と比べて」購買に影響を与えているかは知りません。
多くの著者は「たくさん売れればいいなぁ」と思っているでしょうが、表紙やタイトルが大嫌いならば嬉しくはないでしょう。そうでない著者もいるでしょうが。ボクは2010年6月現在、新刊のタイトルを検討中です。いくつかのアイデアを100人くらいのユーザーにお伝えしてご意見を伺っています。率直な、そして互いに両立しないコメントを読んでいると非常に勉強になりますし、同時に、タイトルを考えるのが難しい仕事だと実感します。ちなみに、ボクが著者として提案して採用されたタイトルは、過去に1冊もありません。
小説は違うでしょうが、TOEIC対策本に関する限り、タイトルを決めるのは版元です。どの版元でも、おそらく営業部が決める権限を持っていると思われます。その背景には、タイトルを含め「表紙は売上を左右する大きな要素」という前提があります。正しいかどうか知りませんが、たぶんそうなのでしょう。売上に影響するということは、その責任を担う営業部が決定権を持つのは自然な考え方です。本当に最終的な判断は社長がする場合もあるかも知れませんが、直接的に大きな影響力を持つのは営業部のはずです。もちろん、会社の規模によって差はあります。編集者もデザイン制作や著者とのコミュニケーションを担当するので、タイトル決定には関与します。
自分が関与する本のコンテンツ部分と、その背景をよく知っている著者も、少し関与します。著者よりも本全体のことを、そしてほかの多くの本について知っている編集者も当然です。その編集者が話す相手である営業部。版元から本を買う取次店と、ユーザーに販売する書店は決定プロセスにはほとんど関係ありません。そして、本を購入するかどうかを決め、実際に使うユーザーがプロセスに関与することはめったにありませんが、間接的には営業部の動きに関係しています。
営業部が重視するのは広義ではユーザーですが、狭義では書店です。
営業部は、ユーザーの書店での行動を観察したり、紀伊國屋書店が提供しているオンライン情報など「結果として出る数値」を分析したりしています。店頭でユーザーに「これ買ってください」とは言いません。なぜなら、ユーザーの行動を左右する要素として大きいのは、書店での陳列だからです。もっとも、近年はインターネットの普及によって、それすらどれだけ正しいか疑問ですが、とは言え、陳列はユーザーにとっても書店にとっても無視できない要素であるはずです。ですから、版元の営業部の主な活動の1つは、まずは商品の配置(placement)を有利にすることです。
有利な商品配置の例は「メンチン」です(注意:清一色は六飜ですが喰い下がると五飜)。「面陳」の他に「面差し」「背陳」「背差し」など、いろんな配置があります。配置は売上に影響します。素晴らしい中身とタイトルを持つ本があり、ユーザーに有益で、見れば欲しくなる本だとしても、「背差し」になっていればユーザーが気づく確率が低くなります。100人のユーザーのうち、「面陳」されているAという本に気づく人が63人いても、「背差し」のBに気づく人は3人しかいないことも起きるでしょう。言い換えると、Aが目立つがために、Bが目立たないわけです。よって、すべて同じ方法で配置する書店はないでしょうから、なるべく自社の本が有利に置かれるよう、営業部は書店に働きかけます。
次に、配置だけでなくユーザーに本を手にしてもらうことも必要です。タイトルや表紙はそれに関係します。Bに気づいた3人全員が実際に手に取る可能性は限りなくゼロに近いですが、奇跡的に手にする人がいるとすれば背表紙が理由のはずです。背表紙にはタイトルが書かれています。
63人が気づくAを手にするのは何人でしょうか。まったく不明です。なぜなら、A以外にも、XやYやZも「面陳」されているからです。よって、Aを手にしてもらうには理由が必要ですから、唯一ユーザーが目にする表紙(表1と呼ばれます)がXやYやZのそれと同じくらい、またはそれ以上に魅力的である(特徴がある)必要があるのです。もちろん、それは「何らかの意味で目立つ」ことであり、ギラギラしているとかロバートの顔があることを指しているとは限りません。TOEIC関連書についてはETSが表紙を検閲しますので、制約条件が多いです。フォントやサイズなどがどの本も似ているのは、それが原因です。版元の本音は「TOEIC」という語を単独で使うことですが禁止されているため「TOEICテスト」などになっています。仮に63人のうち28人がAを手にしたとします。そこで表紙の役割はほぼ終了します。ほかの本と比較するユーザーは、様々な意味での「中身」を比較するはずですから。なお、中身は、実はBが最も優れている可能性も当然ありますが、残念なことに比較対象にすらならない可能性が高いです。
目の前にある本の中身をすぐに変えることはできませんから、営業部員が「ユーザーに本を手にしてもらう」ことを活動の軸にすることは不思議ではありません。本来は、営業部こそ中身に深く関与して「こういうものがあれば、XにもYにもZにも勝てるから作ってくれ」と編集部に持ちかけるのが理想的な流れですが、あまり現実はそうなっていないと思われます。
以上の背景があり、表紙デザインやタイトル、表紙に入れる文字を決める際に営業部が主導することになります。ユーザーの判断は販売数に現れますが、タイトルや表紙が実際にどの程度「中身と比べて」購買に影響を与えているかは知りません。
多くの著者は「たくさん売れればいいなぁ」と思っているでしょうが、表紙やタイトルが大嫌いならば嬉しくはないでしょう。そうでない著者もいるでしょうが。ボクは2010年6月現在、新刊のタイトルを検討中です。いくつかのアイデアを100人くらいのユーザーにお伝えしてご意見を伺っています。率直な、そして互いに両立しないコメントを読んでいると非常に勉強になりますし、同時に、タイトルを考えるのが難しい仕事だと実感します。ちなみに、ボクが著者として提案して採用されたタイトルは、過去に1冊もありません。
疑問67 著者は何者か
いわゆるTOEIC対策本の「著者」は、ほとんどが日本人です。通常は、表紙に名前が載っている人が著者と呼ばれます。本に収録されたすべての文字を書いた人が著者とは限りません。むしろ、すべての文字を書いた人は存在しないのが普通です。
日本人だけが著者として表紙に載っている場合、版元の方針や本の性質にもよりますが、模擬試験や全パートを扱う本においては、英文を作成するのは(多くの場合は)英語のネイティブスピーカーです。著者ではありません。特にパート3とパート4、パート7はその可能性が高いです。TOEICに詳しいであろう著者が事前に出す指示に基づいて英文が書かれている場合もありますし、そうでない場合もあります。
TOEICに詳しいネイティブスピーカー(アイテムライター)は少ないです。でも、日本人が書くより圧倒的に速いですし、ミスがあっても著者や編集スタッフが修正する機会があるので、アイテムライティングを外注するのは妥当と言えます(著作権者は著者なので英文に対しても責任を負うことにはなります)。
著者は何をするのか。
英文に対して、解説とか戦略と呼ばれる部分を書くのが普通です。出版界には「(ほとんど)何も書かずに」著者として振る舞う人もいるようですが、TOEIC業界にいるかどうかは知りません。そして、書きながら英文を修正することもあります。作られた英文が必ずしもテスト問題として妥当ではない場合があるからです。
ただし、たまには「あー、この会話にワインが登場してるよ。TOEICにはアルコールは出ないんだけど、変更すると2番目の設問に影響するなぁ。あれ、3問目の選択肢の(D)も変えないといけない。ま、いいか。締め切りは明日(または昨日)だし」といった判断が下されるかも知れません。そういうミスに著者が気づかないかも知れませんし、悪意なくウッカリ見落とす場合もあるかも知れません。執筆という仕事は、多くの人が想像するより大変だと個人的に感じていますので、責任を負うにしても「ミスをゼロにする」ことは現実的に不可能に近いです(刊行後に発見されたミスは、普通は増刷時に訂正されます)。
「書く」ことと同じか、それ以上に重要なのが「校正」です。
なぜなら、たいてい、著者が書いた文字は編集プロセスで修正されるからです。例えば、あるアイテムについて解説を196文字で著者が書いたとしても、実際には(いろいろな理由により編集者によって)170文字に短縮され、さらに14文字が追加され、最終的に184文字が本に収録されても不思議ではありません。よって、その工程で何らかのミスが生じる場合もあります。もともとは「これは先ほど述べたように〜だ」という表現が正しくても、実は(最終的には)先ほど述べてなかった!、なんてことも起きる可能性があります。
ほかにもあります。刊行後、編集部などに届く「質問」に回答することも重要な仕事の1つです。著者のポリシーに左右されるかも知れませんが。編集者は刊行後に届く読者からの質問を吟味し、(対応が難しい場合は)著者の見解を求めます。著者は無視せず回答するのが普通(だと推測します)。また、それが素晴らしい質問や疑問であれば、それを次の版に反映するでしょう。もっとも、版によって内容が大きく異なるのは理想的ではないので、ある程度の妥協も発生するはずです。
さらに、「どんな本が求められているのか」「どんな悩みを読者は抱えているだろうか」「どうすればそれを解決できるだろうか」「どうすれば差別化できるだろうか」「どのようにプロモーションすべきなのか」という、マーケティングとセールスのプロセスに参加する著者もいますし、むしろ、それらに最大の関心を寄せるボクみたいな人もいます。
TOEICの本は、著者と編集者、アイテムライター、デザイナー、校正者、営業スタッフたちによる作品なのです。
『スーパー英単語』でご一緒した小石先生は、デビュー当時をこう振り返っています。
日本人だけが著者として表紙に載っている場合、版元の方針や本の性質にもよりますが、模擬試験や全パートを扱う本においては、英文を作成するのは(多くの場合は)英語のネイティブスピーカーです。著者ではありません。特にパート3とパート4、パート7はその可能性が高いです。TOEICに詳しいであろう著者が事前に出す指示に基づいて英文が書かれている場合もありますし、そうでない場合もあります。
TOEICに詳しいネイティブスピーカー(アイテムライター)は少ないです。でも、日本人が書くより圧倒的に速いですし、ミスがあっても著者や編集スタッフが修正する機会があるので、アイテムライティングを外注するのは妥当と言えます(著作権者は著者なので英文に対しても責任を負うことにはなります)。
著者は何をするのか。
英文に対して、解説とか戦略と呼ばれる部分を書くのが普通です。出版界には「(ほとんど)何も書かずに」著者として振る舞う人もいるようですが、TOEIC業界にいるかどうかは知りません。そして、書きながら英文を修正することもあります。作られた英文が必ずしもテスト問題として妥当ではない場合があるからです。
ただし、たまには「あー、この会話にワインが登場してるよ。TOEICにはアルコールは出ないんだけど、変更すると2番目の設問に影響するなぁ。あれ、3問目の選択肢の(D)も変えないといけない。ま、いいか。締め切りは明日(または昨日)だし」といった判断が下されるかも知れません。そういうミスに著者が気づかないかも知れませんし、悪意なくウッカリ見落とす場合もあるかも知れません。執筆という仕事は、多くの人が想像するより大変だと個人的に感じていますので、責任を負うにしても「ミスをゼロにする」ことは現実的に不可能に近いです(刊行後に発見されたミスは、普通は増刷時に訂正されます)。
「書く」ことと同じか、それ以上に重要なのが「校正」です。
なぜなら、たいてい、著者が書いた文字は編集プロセスで修正されるからです。例えば、あるアイテムについて解説を196文字で著者が書いたとしても、実際には(いろいろな理由により編集者によって)170文字に短縮され、さらに14文字が追加され、最終的に184文字が本に収録されても不思議ではありません。よって、その工程で何らかのミスが生じる場合もあります。もともとは「これは先ほど述べたように〜だ」という表現が正しくても、実は(最終的には)先ほど述べてなかった!、なんてことも起きる可能性があります。
ほかにもあります。刊行後、編集部などに届く「質問」に回答することも重要な仕事の1つです。著者のポリシーに左右されるかも知れませんが。編集者は刊行後に届く読者からの質問を吟味し、(対応が難しい場合は)著者の見解を求めます。著者は無視せず回答するのが普通(だと推測します)。また、それが素晴らしい質問や疑問であれば、それを次の版に反映するでしょう。もっとも、版によって内容が大きく異なるのは理想的ではないので、ある程度の妥協も発生するはずです。
さらに、「どんな本が求められているのか」「どんな悩みを読者は抱えているだろうか」「どうすればそれを解決できるだろうか」「どうすれば差別化できるだろうか」「どのようにプロモーションすべきなのか」という、マーケティングとセールスのプロセスに参加する著者もいますし、むしろ、それらに最大の関心を寄せるボクみたいな人もいます。
ボクは著者としての活動以外に、自分が「著者ではない」本に対して行っている仕事をすることがあります(というか、そっちの方が多い年もあります)。デーモン小暮閣下における「世を忍ぶ仮の姿」と呼べるもの。
その仕事の一部は、これらです。
・アイテムライティング(英語で自分が問題を作成する)
・アイテムライティングアドバイス(問題作成者を指導する)
・アイテムエディティング(作られた問題を編集工程で修正する)
やりとりの相手は日本人の場合と、英語のネイティブスピーカーの場合があります。これらは執筆と同じくらい楽しくてやりがいのある仕事です。
なお、念のため補足すると、デーモン小暮閣下の英語名は2つあります。
2人称:Your Excellency Demon Kogure
3人称:His Excellency Demon Kogure
TOEICの本は、著者と編集者、アイテムライター、デザイナー、校正者、営業スタッフたちによる作品なのです。
『スーパー英単語』でご一緒した小石先生は、デビュー当時をこう振り返っています。
疑問57 英英辞典の選び方とは
TOEICのスコアを伸ばし続けるなら、英語力を高める必要があるのは当然です。そのために必要不可欠なツールの1つが辞書です。
英和辞典を使う人に比べ、英英辞典を使う人は意外と少ないです。
単純に言って、英語が英語で説明されているのですから、英語力向上に貢献するのは当然ですが、ポイントは「知りたいという欲求がベースにある」点です。
一般的に言って「知りたい」という気持ちがあると、それを解決するプロセスにおいて、気持ちがコミットするので、知識の吸収力が上がります。記憶への定着も良いはずです。せっかく、ある言葉(英語)の意味を知りたいと思う気持ちがあるのなら、日本語ではなく英語で解決すれば、出合う英語を吸収しやすいのです。
選び方はシンプルです。
立ち読みしてください。自分で中身を確認するのがベストです。
(実際に立ち読みしてきました)
普通の英英辞典なら、OALDや、LDCEなどで構いません。また、神崎正哉さんによれば、LEDも良いそうです(ボクは中身を見たことはありません)。
別の視点で、ボクが本気で推薦する英英辞典はコリンズです。「普通の英英辞典」に加えてコリンズを使うことを推奨します。いろんな種類がありますが、どれも同じコンセプトです。コリンズの特徴は「まるで会話をしているかのような説明」です。
例えば、ボクは、5年前に調べたことを今でも覚えています。
boardを引くと次のように書かれていました(記憶していることを書きます)。
分かりやすいですね。
イメージ(映像)が浮かぶからです。電車やバス、飛行機などに乗っかってどこかに行く様子が脳内スクリーンに映し出されます。コリンズを使うと映像で学んでいるかのように錯覚します。それが記憶への定着を促進するのです。
さらに、文法や語法も学べます。
上の例文からは「boardの直後に目的語を置けばいい」というルールも学べます。board on a busではなく、board a busが正しいです。
ボクは高校生か大学生の時にコリンズを買いました。
それ以来、しょっちゅう「読んで」いました。「引く」辞書ではなく「読み物」として利用していたのです。読み物であり、話し相手でもありました。目にした例文は音読するのは当たり前。後で気づきましたが、コリンズを使うことで会話力も伸びました。なるべく平易な英語を駆使する力が伸びたからです。
ただし、人には「好き嫌い」があります。ラーメンと同じ。
「無敵家っていうラーメン屋、すごく美味しいよ」と友人から聞いて、食べてみたら「いや〜、まずかった」ってことありますよね(無敵家は、ボクは未経験)。それと同じです。辞書は価格が高いので、ラーメンより慎重に選ぶべきです。なので、立ち読みしてから買うのがいいでしょう。ま、コリンズは他と比べる意味がないのですが。
洋書なので、どこにでも売っているわけではありません。
立ち読みする機会がないのであれば、思い切って1冊買ってみるしかないでしょう。あえて、どれか1つを選ぶならシリーズの中で標準的なもので大丈夫です。
長期的に英語力を伸ばしたいなら、特に、楽しく会話力を伸ばしたいなら、ぜひ使ってみてください。
英和辞典を使う人に比べ、英英辞典を使う人は意外と少ないです。
単純に言って、英語が英語で説明されているのですから、英語力向上に貢献するのは当然ですが、ポイントは「知りたいという欲求がベースにある」点です。
一般的に言って「知りたい」という気持ちがあると、それを解決するプロセスにおいて、気持ちがコミットするので、知識の吸収力が上がります。記憶への定着も良いはずです。せっかく、ある言葉(英語)の意味を知りたいと思う気持ちがあるのなら、日本語ではなく英語で解決すれば、出合う英語を吸収しやすいのです。
選び方はシンプルです。
立ち読みしてください。自分で中身を確認するのがベストです。
(実際に立ち読みしてきました)
普通の英英辞典なら、OALDや、LDCEなどで構いません。また、神崎正哉さんによれば、LEDも良いそうです(ボクは中身を見たことはありません)。
別の視点で、ボクが本気で推薦する英英辞典はコリンズです。「普通の英英辞典」に加えてコリンズを使うことを推奨します。いろんな種類がありますが、どれも同じコンセプトです。コリンズの特徴は「まるで会話をしているかのような説明」です。
例えば、ボクは、5年前に調べたことを今でも覚えています。
boardを引くと次のように書かれていました(記憶していることを書きます)。
If you board a train, a bus or an aircraft, you get on it in order to travel somewhere.
分かりやすいですね。
イメージ(映像)が浮かぶからです。電車やバス、飛行機などに乗っかってどこかに行く様子が脳内スクリーンに映し出されます。コリンズを使うと映像で学んでいるかのように錯覚します。それが記憶への定着を促進するのです。
さらに、文法や語法も学べます。
上の例文からは「boardの直後に目的語を置けばいい」というルールも学べます。board on a busではなく、board a busが正しいです。
ボクは高校生か大学生の時にコリンズを買いました。
それ以来、しょっちゅう「読んで」いました。「引く」辞書ではなく「読み物」として利用していたのです。読み物であり、話し相手でもありました。目にした例文は音読するのは当たり前。後で気づきましたが、コリンズを使うことで会話力も伸びました。なるべく平易な英語を駆使する力が伸びたからです。
ただし、人には「好き嫌い」があります。ラーメンと同じ。
「無敵家っていうラーメン屋、すごく美味しいよ」と友人から聞いて、食べてみたら「いや〜、まずかった」ってことありますよね(無敵家は、ボクは未経験)。それと同じです。辞書は価格が高いので、ラーメンより慎重に選ぶべきです。なので、立ち読みしてから買うのがいいでしょう。ま、コリンズは他と比べる意味がないのですが。
洋書なので、どこにでも売っているわけではありません。
立ち読みする機会がないのであれば、思い切って1冊買ってみるしかないでしょう。あえて、どれか1つを選ぶならシリーズの中で標準的なもので大丈夫です。
長期的に英語力を伸ばしたいなら、特に、楽しく会話力を伸ばしたいなら、ぜひ使ってみてください。
疑問56 電子辞書の役割は
TOEIC受験者の悩みの1つが語彙力の低さです。
大学でセミナーをするとき「電子辞書を持ってますか」と質問すると、保有者は半数を超えるのが普通です。大学生であれ会社員であれ、電子辞書を使うのは構いません。
電子辞書は高機能で、小さく軽いので持ち運ぶのも楽です。英語力もTOEICのスコアも伸ばすつもりがないなら迷わず電子辞書を使うべきです。
電子辞書の役割は「問題解決」です。知らない単語の意味を知るために使う人がほとんどでしょう。「あれ、extensiveってどういう意味かな」と思ったら、電子辞書を使えば10秒以内に解決します。それが役割。
「自分の頭の中に語彙を蓄積するつもりはないけど、単語を知らないという目の前にある問題を今すぐ解決する」のが電子辞書です。楽をするための道具。
語彙力を高めたいなら、(記憶に定着しにくいという意味において)電子辞書の効果が小さいことは明白です。記憶のメカニズムを論じる必要すらありません。電子辞書が悪いわけではありません。その役割を担っていないだけです。
語彙力を伸ばしたいなら、面倒な作業をするべき。
簡単に問題が解決されると、そこで努力を止めるのが普通の人です。ですが、問題を解決するまでに手間がかかる場合は記憶に残りやすくなります。または、印象的な事象に出合うとか。もちろん、電子辞書は不適切。すぐに解決しますから。
辞書を使って語彙力アップを期待するなら、紙の辞書を使うべきです。
特に、英和辞典と英英辞典を併用するとよいでしょう。ボクが推薦する英英辞典は1つしかありません(ほかの辞書がダメだという意味ではないです)。あら。その英英辞典を搭載している電子辞書があるようです。悲しいことです。COBUILDのように優れた辞書が電子辞書のコンテンツになるなんて。あれは「引く」ものではなく「読む」ものですから。
電子辞書を使って単語力を伸ばそうなんて考えてはいけません。もしそれが可能ならば、電子辞書をすでに使っている人々が、語彙力不足を嘆くはずがないですから。問題解決ツールとして使ってください。
大学でセミナーをするとき「電子辞書を持ってますか」と質問すると、保有者は半数を超えるのが普通です。大学生であれ会社員であれ、電子辞書を使うのは構いません。
電子辞書は高機能で、小さく軽いので持ち運ぶのも楽です。英語力もTOEICのスコアも伸ばすつもりがないなら迷わず電子辞書を使うべきです。
電子辞書の役割は「問題解決」です。知らない単語の意味を知るために使う人がほとんどでしょう。「あれ、extensiveってどういう意味かな」と思ったら、電子辞書を使えば10秒以内に解決します。それが役割。
「自分の頭の中に語彙を蓄積するつもりはないけど、単語を知らないという目の前にある問題を今すぐ解決する」のが電子辞書です。楽をするための道具。
語彙力を高めたいなら、(記憶に定着しにくいという意味において)電子辞書の効果が小さいことは明白です。記憶のメカニズムを論じる必要すらありません。電子辞書が悪いわけではありません。その役割を担っていないだけです。
語彙力を伸ばしたいなら、面倒な作業をするべき。
簡単に問題が解決されると、そこで努力を止めるのが普通の人です。ですが、問題を解決するまでに手間がかかる場合は記憶に残りやすくなります。または、印象的な事象に出合うとか。もちろん、電子辞書は不適切。すぐに解決しますから。
辞書を使って語彙力アップを期待するなら、紙の辞書を使うべきです。
特に、英和辞典と英英辞典を併用するとよいでしょう。ボクが推薦する英英辞典は1つしかありません(ほかの辞書がダメだという意味ではないです)。あら。その英英辞典を搭載している電子辞書があるようです。悲しいことです。COBUILDのように優れた辞書が電子辞書のコンテンツになるなんて。あれは「引く」ものではなく「読む」ものですから。
なお、TOEIC学習のためのコンテンツが搭載されている電子辞書もありますが、価値は低いと思ってください。電子辞書メーカーは(競争が激しいので)単価をなるべき高めに維持するために、いろんなコンテンツを詰め込まざるを得ないだけです。「電子辞書として競争している」だけであり、「TOEIC学習ツールとして優れているかどうか」という視点には立ちません。当たり前です。ニンテンドーDSも同様です。TOEIC学習用ソフトはありますが、ボクが知る限りヒドイものばかりです。理由は多すぎて省略しますが、ゲームとして使うなら価値は高いです。数多くの代替手段がある中で、ニンテンドーDSを使ってTOEICの勉強をすることの優位性は感じられません。リスニングセクションを収録していないなら信用できるかも知れませんが。
電子辞書を使って単語力を伸ばそうなんて考えてはいけません。もしそれが可能ならば、電子辞書をすでに使っている人々が、語彙力不足を嘆くはずがないですから。問題解決ツールとして使ってください。
疑問51 本の表紙が変わる理由
すでに販売されている本の表紙が変わることがあります。
変える理由はいくつかあります。
単純に言えば「もっと売りたいから」です。普通は版元が意思決定します。
本の売り上げを左右する要素は、もちろん複数あります。中身と関係ない要素、という意味で。例えば、タイトルや著者名、販売実績などです。そして、それらは「途中で変えるようなもの」ではありません。販売実績は、発売当初は「ない」ようなものですから、実際にたくさん売れてから「売れてます」とか「アマゾンで1位」とかを武器にして宣伝が始まります。でも、それをさらに変更する必要性は時間とともに低くなっていきます。
タイトルも著者名も普通は変わりません。当たり前です。
表紙を変えるのは相対的には簡単です。
もちろんコストが発生しますし、消費者が同じ本を2回買う可能性もあるので、何度も変えることはないはずです。なので、表紙ではなく「オビ」を何度も変えることはあります。オビは既存の本に巻きつければ変わりますから、在庫の有無に関係なく変わることがあります。オビに販売実績や売れるコピー(宣伝文句)を書くわけです。
表紙を変えるのは、在庫が大量にあると面倒です。
当たり前ですが、表紙を変えるということは、表紙だけを印刷するわけです。倉庫に余っている冊数だけ印刷しても足りません。市場に眠っているものが、いずれ「返品」として戻ってくるからです(本の流通は、それがややこしいです。というより、何が真実なのか知る機会がめったにありません)。
そして、倉庫に1,500冊あれば、少なくとも1,500の新しい表紙を1つ1つ差し替えるのです。すごく面倒な作業です。とっても面倒。出荷するタイミングに合わせて差し替えるのだと思いますが、とにかく面倒なはず。
「1冊あたり10円やるからお前がやれ」
そう言われたらボクはやりません。1冊100円なら考えるかも。いや、やりません。
(計算しましたか)
実際いくらか知りませんが、確実にコストが発生します。
100円だとします。1,600円の本が書店で売れると、版元に入るのは65パーセントとか70パーセントです。流通コストがありますので。70だとしても、収入は1,120円です。それは決して「利益」ではありません。原価と変動コストがありますから。
紙代、印刷代、印税代、デザイン代、スタジオ代、ナレーター代、翻訳代、校正代、制作者の人件費など、消費者には見えにくい数字ですが、ドカンとあります。TOEICの場合は、ETSに支払うコストもあります。
初版なら1冊あたり、1,600円のうち少なくとも500円程度は原価(など)だと思います。確かではありませんが。480円が流通コストだとすれば、合計で980円。販売価格1,600円のうち、620円しか残らない計算です。
表紙を差し替えるために100円を使う?
620円のうち100円は17パーセントにも匹敵します。50円だとしましょう。
「1冊あたり50円あげるから、お願い。やってください」
誰かがやっているのでしょう。無料かも知れません。
売れるかどうか分からないのに、在庫の表紙を差し替えるのは楽しい作業ではありません。たぶん。でも、どこかの誰かがやってくれています。
あなたは50円でやりますか。
これは『新TOEICテスト はじめての解答技術』の新しい表紙(の一部)です。
倉庫に1,500冊あるかどうかは知りませんが、ボクが感謝すべき誰かが表紙を差し替えてくれています。
ありがとうございます。
3月23日は、第137回のTOEIC公開テストです。
前夜に「TOEIC前夜祭」があり、ボクも出演します。
詳細は主催者のブログでチェックしてください。
変える理由はいくつかあります。
単純に言えば「もっと売りたいから」です。普通は版元が意思決定します。
本の売り上げを左右する要素は、もちろん複数あります。中身と関係ない要素、という意味で。例えば、タイトルや著者名、販売実績などです。そして、それらは「途中で変えるようなもの」ではありません。販売実績は、発売当初は「ない」ようなものですから、実際にたくさん売れてから「売れてます」とか「アマゾンで1位」とかを武器にして宣伝が始まります。でも、それをさらに変更する必要性は時間とともに低くなっていきます。
タイトルも著者名も普通は変わりません。当たり前です。
表紙を変えるのは相対的には簡単です。
もちろんコストが発生しますし、消費者が同じ本を2回買う可能性もあるので、何度も変えることはないはずです。なので、表紙ではなく「オビ」を何度も変えることはあります。オビは既存の本に巻きつければ変わりますから、在庫の有無に関係なく変わることがあります。オビに販売実績や売れるコピー(宣伝文句)を書くわけです。
表紙を変えるのは、在庫が大量にあると面倒です。
当たり前ですが、表紙を変えるということは、表紙だけを印刷するわけです。倉庫に余っている冊数だけ印刷しても足りません。市場に眠っているものが、いずれ「返品」として戻ってくるからです(本の流通は、それがややこしいです。というより、何が真実なのか知る機会がめったにありません)。
そして、倉庫に1,500冊あれば、少なくとも1,500の新しい表紙を1つ1つ差し替えるのです。すごく面倒な作業です。とっても面倒。出荷するタイミングに合わせて差し替えるのだと思いますが、とにかく面倒なはず。
「1冊あたり10円やるからお前がやれ」
そう言われたらボクはやりません。1冊100円なら考えるかも。いや、やりません。
(計算しましたか)
実際いくらか知りませんが、確実にコストが発生します。
100円だとします。1,600円の本が書店で売れると、版元に入るのは65パーセントとか70パーセントです。流通コストがありますので。70だとしても、収入は1,120円です。それは決して「利益」ではありません。原価と変動コストがありますから。
紙代、印刷代、印税代、デザイン代、スタジオ代、ナレーター代、翻訳代、校正代、制作者の人件費など、消費者には見えにくい数字ですが、ドカンとあります。TOEICの場合は、ETSに支払うコストもあります。
初版なら1冊あたり、1,600円のうち少なくとも500円程度は原価(など)だと思います。確かではありませんが。480円が流通コストだとすれば、合計で980円。販売価格1,600円のうち、620円しか残らない計算です。
表紙を差し替えるために100円を使う?
620円のうち100円は17パーセントにも匹敵します。50円だとしましょう。
「1冊あたり50円あげるから、お願い。やってください」
誰かがやっているのでしょう。無料かも知れません。
売れるかどうか分からないのに、在庫の表紙を差し替えるのは楽しい作業ではありません。たぶん。でも、どこかの誰かがやってくれています。
あなたは50円でやりますか。
これは『新TOEICテスト はじめての解答技術』の新しい表紙(の一部)です。
倉庫に1,500冊あるかどうかは知りませんが、ボクが感謝すべき誰かが表紙を差し替えてくれています。
ありがとうございます。
3月23日は、第137回のTOEIC公開テストです。
前夜に「TOEIC前夜祭」があり、ボクも出演します。
詳細は主催者のブログでチェックしてください。
疑問50 増刷の意味 その2
疑問49の続きです。
奥付に記載されている増刷の歴史は「売れ具合」を判断する材料として必ずしも適切ではありません。奥付を見るのは構いませんし、著者(というかボク)は見て欲しいと思っているので、校正時にも手抜きはしません。
仮に、今が2008年4月30日だとします。
発行日や「売れ具合」をチェックするために奥付を見て、初版発行が2007年10月10日で、第2刷が2007年12月25日だとします。それを見て「この本は、まぁまぁ新しいな。第2刷が出ているけど、その後がないから売れる勢いが落ちたのかな」と、なんとなく思う可能性はあるでしょう。
それ以前に意識すべきことがあります。
書店には「初版から最新版まで、すべてが混在している」ということです。ここで言う「書店」は個別の店ではなく「流通ルートに存在する全店舗」です。つまり、Aという本が5冊置かれているとして、すべて版が違う可能性もあります。手にした本は確かに第2刷ですが、隣にあるものには「2008年4月10日:第6刷」と書かれているかも知れません。極端な例ですが。
個別の書店に注目すると、Pという書店には第6刷しかなくて、Qには初版しかない可能性も(かなり)高いです。Pは初版を入荷し、いつの間にか売れたので、次に仕入れたら、たまたま第6刷だった場合に起きます。「初版が残り1冊になった」時点で発注したら「初版が1冊、第6刷は10冊」並んでいることも起きます。Qは初版を仕入れたけど、売れ残っているだけ。
こういう現象が起きる理由は「既存の版が売り切れる前に増刷するから」です。
当たり前です。初版が7,000部だとして、それが売り切れる日なんか来ないのです。たぶん。青森では売り切れたけど、島根の武田書店には残っているかも知れません(注:実在するかどうか知りません。適当に書いた店です。と思って調べたら実在しました)。7,000のうち、例えば5,000くらいが売れたようだ、と判断されれば増刷されるかも知れません(印刷には時間がかかりますから)。第2刷が5,000部なら、それが書店に配送され、初版と一緒に並びます。平積みの場合は「初版が下に、第2刷が上に」置かれるでしょう。すると、初版が売れる日は来ないかも知れません。
消費者は店頭で最新の版がどれなのかを正確に知ることはできないのです。
版元に尋ねない限り。(終わり)
おかげさまで、増刷が決まりました(第6刷と第2刷)。感謝いたします。
奥付に記載されている増刷の歴史は「売れ具合」を判断する材料として必ずしも適切ではありません。奥付を見るのは構いませんし、著者(というかボク)は見て欲しいと思っているので、校正時にも手抜きはしません。
仮に、今が2008年4月30日だとします。
発行日や「売れ具合」をチェックするために奥付を見て、初版発行が2007年10月10日で、第2刷が2007年12月25日だとします。それを見て「この本は、まぁまぁ新しいな。第2刷が出ているけど、その後がないから売れる勢いが落ちたのかな」と、なんとなく思う可能性はあるでしょう。
それ以前に意識すべきことがあります。
書店には「初版から最新版まで、すべてが混在している」ということです。ここで言う「書店」は個別の店ではなく「流通ルートに存在する全店舗」です。つまり、Aという本が5冊置かれているとして、すべて版が違う可能性もあります。手にした本は確かに第2刷ですが、隣にあるものには「2008年4月10日:第6刷」と書かれているかも知れません。極端な例ですが。
個別の書店に注目すると、Pという書店には第6刷しかなくて、Qには初版しかない可能性も(かなり)高いです。Pは初版を入荷し、いつの間にか売れたので、次に仕入れたら、たまたま第6刷だった場合に起きます。「初版が残り1冊になった」時点で発注したら「初版が1冊、第6刷は10冊」並んでいることも起きます。Qは初版を仕入れたけど、売れ残っているだけ。
こういう現象が起きる理由は「既存の版が売り切れる前に増刷するから」です。
当たり前です。初版が7,000部だとして、それが売り切れる日なんか来ないのです。たぶん。青森では売り切れたけど、島根の武田書店には残っているかも知れません(注:実在するかどうか知りません。適当に書いた店です。と思って調べたら実在しました)。7,000のうち、例えば5,000くらいが売れたようだ、と判断されれば増刷されるかも知れません(印刷には時間がかかりますから)。第2刷が5,000部なら、それが書店に配送され、初版と一緒に並びます。平積みの場合は「初版が下に、第2刷が上に」置かれるでしょう。すると、初版が売れる日は来ないかも知れません。
消費者は店頭で最新の版がどれなのかを正確に知ることはできないのです。
版元に尋ねない限り。(終わり)
おかげさまで、増刷が決まりました(第6刷と第2刷)。感謝いたします。
⇒ 前田広之 (09/19)
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